『BAKERS おいしいパンの向こう側』

『BAKERS おいしいパンの向こう側』(実業之日本社
12月20日に発売されました。

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おいしいパンをつくる人々について、現在の「私」の視点から、書いたものです。
「私」については、2015年の秋にここで、書きました。

 

『BAKERS おいしいパンの向こう側』の著者の向こう側。

私は文章が書くのが好きで、パンの仕事を始めた。
おいしさの向こう側にある、魅力的なもの。
それが書きたいことの中心にあった。

「FAVORITE WORKSのこと」より

10年くらいずっと、したいと思っていた、本をつくる仕事ができて、幸せです。


日々の仕事の合間の貴重な時間を分けてくださり、取材を受けてくださった20のパン屋さんに、心から感謝しています。そして、企画を通してくださり、私に出版の機会を与えてくださった実業之日本社、編集者の村上真一さんに、感謝です。
そのほか、たくさんの方のお力をお借りしました。この場を借りて御礼申し上げます。

有り難うございました。

 

出版を記念して、トークイベントを企画しました。

清水美穂子×須藤秀男(ブーランジェリースドウ)×榎本哲(パン・デ・フィロゾフ)「人気店のシェフと語る、素敵なパンの世界」 | News Headlines | 新潮社


1月に「ブーランジェリースドウ」の須藤さんと、「パン・デ・フィロゾフ」の榎本さんと、神楽坂は新潮社さんのラカグをお借りして、イベントを開催します。本に書ききれなかったこと、おいしいパンの向こう側を、素敵な二人のシェフと、皆さまと、シェアしたいと思っています。

どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

 

ベストパン★2017結果発表を読む

 

All About読者が選ぶベストパン★2017、集計結果を発表しました。「ブレッド&サーカス」「パン焼き小屋ツオップ」「ル・プチメック」が殿堂入りして永久ベストパン店となり、投票対象外となって、ランキングはいかに?


年末のベストパン企画を始めたきっかけは、「All About読者はどんなパン屋さんが好きなのか?」を知るためでした。それは数年で達成され、取材活動に活かされてきました。

 

一言でいえば、ハード系の食事パンをメインとして売るお店が多い傾向にありました。
人気のパンは流行とはあまり関係なく、長年ブラッシュアップしながら、焼き続けられているものが多いということもわかりました。これは素敵なことです!


わたしはその傾向を、とても大切に考えました。

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やがて、皆が年末恒例の企画として楽しみにしてくださるようになり、パン屋さんには迷惑な話かもしれないので、恐縮しながらも、続けてまいりました。その昔はCGIフォームをつくって、個人サーバーに挙げてもらって、目をチカチカさせながら集計していたことを思うと、All Aboutでやっていただけるようになった近年は助かっています。

 

All About読者>ベストパンに投票してくださる読者>投票にコメントをつけてくださる読者で、コメントの量はさほど多くありませんが、読者(消費者)のストレートな声に触れる機会です。

 

長年、コメントに目を通していると、そこに「おいしい」、とか「好き」のほかに、「私が見つけた、他にない素敵な店」「私が応援している、頑張っている店」という意識を感じることがよくあります。都市部でなくても、小さなお店でも、これが強いと、一票になる。

 

まだあまり知られていない、応援しがいのある店は、SNSでも共感を呼ぶ意識です。日本に、素敵なお店、いいパンを焼く人は、まだまだたくさん、潜在している。

素敵な人や店と出会う機会。おいしいパンを体験する機会。
そう思うと、やはり毎年楽しみな、ベストパンなのです。


最近の記事

 

9月から11月まで、『BAKERS』の取材執筆に集中していたため、『月の本棚』をここでお知らせしそびれていました。でも、本はパンと同じくらい大事。食事するみたいに読んでいます。ということで、まとめて以下に載せておきます。

 

 

BAKERS

気がつけばひと昔、a decade!経ってしまったけれども、
ようやくまた、本を出せることになりました。

『BAKERS おいしいパンの向こう側』(実業之日本社
12月20日発売です。

 

きょうは、装幀の色校が上がってきたので、うれしく、お披露目します。

この本では、20のパン屋さんを取材させていただいています。 

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*

「もちもちしていておいしい」「噛めば噛むほど味がする」
などとよく言われていますが、おいしいパンとはどんなパンでしょうか?

その向こう側にはどんな人々がいて、どんなストーリーがあるでしょうか。

さまざまなパンのつくり手を取材してきた著者・清水美穂子が、
本当においしいと思うパンとその店、つくり手について書きます。

 

パンは小さいけれど確かな幸せ。
つくり手にとっては、誰かを楽しませるための仕掛けであり、
世界とつながるコミュニケーションツールであり、
生き方そのものでもあるように思います。


この本を読んだ人がおいしいパンの魅力を再発見するとともに、
パン屋さんへの理解を深めるきっかけになれば、と思っています。

*

 最初の取材は9月。脱稿が11月。3カ月でできたのは、
毎日なにかしら書いている10年があったからと思います。

そして、おいしいパンの向こう側にいる、つくり手の皆さんのおかげで
書くことができました。貴重な時間を、分けていただきました。

書いていくエネルギーは、読者の方からも、いただきました。

本のかたちになったのは、編集者とデザイナーとイラストレーターと
支えてくれた家族と友人のおかげです。

心から感謝しています。
 

Instagramでは、12月20日までのあいだ、
一日ひとつずつ、おいしいパンの向こう側をご紹介しています。

よろしければ、フォローください。

 

 

パンのペリカン四代目 渡辺陸×ペリカンカフェ店主 渡辺馨 「守るものと変わるもの」

10月3日、神楽坂のla kaguにて、新潮社主催のイベント、パンのペリカン四代目 渡辺陸×ペリカンカフェ店主 渡辺馨 「守るものと変わるもの」進行役を務めさせていただきました。

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(c)新潮社写真部

ペリカンカフェオープン、書籍『パンのペリカンのはなし』出版、そして7日からの映画公開『74歳のペリカンはパンを売る』と、今、注目のパンのペリカンの歴史やそのパンのおいしさの秘密に迫ろうというイベントでした。

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(c)新潮社写真部

ペリカンの四代目、渡辺陸さんのひいおじいさん、武雄さんは1920年代に木挽町でミルクホールを経営しています。この時代の東京に行ってみたいなぁとよく思います。1942年にペリカンの前身「渡辺パン」を開業。この頃はまだ、いろいろなパンを売っていた。食パンとロールパンに特化するようになったのは1957年、おじいさんの多夫さんが会社を設立し、屋号を「ペリカン」にした頃です。

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(c)新潮社写真部


守るものと変わるもの。
『パンのペリカンのはなし』のなかで陸さんは、変わらないために世の変化に逆らうのではなく、変化にうまく対応することが大事というようなことを書かれていて、わたしはそれで、京都で300年続く料亭のご主人が大切にしている芭蕉の言葉を思い出したのです。

不易流行。時代に応じて変化していくことが、時代を超越して不変なるものとなっていく、という意味です。それはペリカンでいえば、販売の形態も時代に合わせて変わってきたことのひとつです。

 

というような話とともに、今のペリカンを支えるお母さんの馨さん(ペリカンカフェ店主)、ペリカン史の先端にいる陸さんと、ペリカンの魅力についてあらためて考えました。

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世の中は目まぐるしく変わっていきます。パンはなにかとブームにされがちで、
でも私はペリカンは、最初に訪れた時から、町のお豆腐屋さんのようなものだと思っている。みんなで守らなくてはならない大切なもの。

映画をきっかけに陸さんはペリカンの歴史や魅力をあらためて知ったり、確認されたといいます。映画に本にと「出過ぎですよね?」という陸さんに、でも、それはひいおじいさんやおじいさんがいま、頑張れ、と肩をそっと押してくれているしるしではないかと思う、とお伝えしました。

ひいおじいさんから続くパン屋さん。おじいさんが決めた、おいしい食パンとロールパンだけをつくる、ということ。みんなでがんばって手をかけて、大切に守り続けているものは、同時に、みんなのことも守ってくれているような気がしています。

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ペリカンの歴史やパン、ペリカンのパンを愛する人たちについてもっと知りたい方は、映画や本をぜひご覧ください。

 

発売中のDiscover Japan_FOOD 『いま、美味しい ニッポンのパン』では、ペリカンが愛される理由、パンの製造工程を始め、ペリカンカフェについてなど、記事を書かせていただいています。こちらもぜひ!

 

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【関連記事】

 

 

「エスキス」成田一世さんインタビュー ガストロノミーとしてのパン。

食に関わる仕事をする人に日々のパンについてインタビューする連載『わたしの素敵なパン時間』45人目のインタビュイーは今年「Asia’s Best Pastry Chef 2017」を受賞された「エスキス」のシェフパティシエ、成田一世さん。

 

食のセンスのあるひとたちはどんなふうにパンを食べてきたのか、今、どんなふうにパンと関わりあっているのか、お聞きしたいという想いがあって、この企画が続いています。貴重なお時間を使ってご協力くださった皆さまと、連載の場をつくってくださったNKC Radarに心から感謝しています。

 

今の時代のおいしさは、素材の味を越さない方向にある
成田一世さん / エスキス シェフパティシエ

フランスとイタリアでパンの位置付けを認識

渡欧したての頃は何を食べても馴染まない感じがしていました。しかし3年、さまざまな地域で食事をし、イタリアでピンキオーリのシェフとして働き始めた頃には、料理とワイン、チーズ、フィレンツェの無塩パンの組み合わせが自分の味覚にしっくりくるようになっていました。ピエール・エルメや吉野建シェフと働く頃には、求められる味を提案できるようになったと感じました。その後ロブションのシェフとなり、10年近くロブションの料理の記憶が積み重ねられた頃に感じたのは、世界のガストロノミーの味わいが軽くなりつつある中で、当時パリのロブションで使っていたプージョランのパンが重くなってきていたこと。パンも料理に合わせて軽くしていく必要があると考え、そういうパンを作る方向に至りました。

エスキスの料理とパン

 ヨーロッパの人たちが来日した時、魅力的に感じてもらえるものを提案したいと考えています。エスキスはシェフのリオネル・ベカが日本の風土に根差した料理を作り、皿やカトラリー、ワイン、パン、最後のデザートまでのすべてのシナジー(相乗効果)を大切に考えるレストランです。ヨーロッパにないもの、ということを一番のポイントにしながら、料理やワインに寄り添うパンを焼いています。発酵のさせ方も日本酒の並行複発酵に近いのです。
リオネルの料理は味がとても淡いです。素材レベルの繊細な味。今の時代のおいしさは、素材の味を越さない方向にあると感じています。料理には「調理」と「調味」という要素がありますが、日本の料理はヨーロッパのそれと異なり、調理のバリエーションが多く、調味のバリエーションが少ない。調理した素材の味に対し調味をできるだけ控えた繊細な料理に合うパンは、白いご飯のような存在です。茶懐石のご飯ならまず「煮えばな」があって、「蒸らし」があって、最後に「おこげ」がありますよね。煮えばなはパンでいえば割ったときのおいしい香りです。だから焼きたてを食べさせたいわけです。そして一口噛んだ時、噛みこんでいった時、味わいはどう変わるのか。冷めたときのテクスチャーはどうなるか。それぞれの局面で理想の温度帯や香り、テクスチャーがある、そんな白飯のようなパンが今の料理に寄り添うと考えます。
私のバゲットはほとんどの味を発酵に使ってしまうので甘くはない。けれど発酵によるアロマがあります。最高級の日本酒が淡麗で辛口というのと同じです。噛み続けていると、口の中の水分を吸ってしまうのではなく、唾液がどんどん出てくる。最後に残る微かな酸味、これが重要です。唾液の量が食べものをおいしくし、食欲を増進させ、次の一皿が楽しみになる。それが私の考えるガストロノミーです。

パンもクロワッサンも軽く焼き戻すのが前提

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パンは基本、焼き戻しておいしくなかったら駄目です。湯気の中に香りが広がります。だから一度温めて食べて欲しい。クロワッサンにフレッシュフルーツや生クリームを盛りたければ、家で温めなおしてからご自分でアレンジすることをお薦めします。それが本当においしい食べ方だと思いますから。
エスキスのクロワッサンは日本の発酵バターを生地の中で発酵させ、フランスの風味に近づけています。バターは対粉80%。発酵生地だけれどフイユタージュのように層も薄く、甘くない。一般的に日本のクロワッサンは甘過ぎて、ジャンボンクロワッサン(ハムサンド)など作れない気がします。

素材の味を越さない料理との相乗作用

小さい時に長く入院して、その時期に味覚が出来上がったことはラッキーだったと思っています。病院食っておいしくないけれど、病気に影響しない必要最低限の栄養が含まれていますよね。そこが今、食の世界で注目されてきているところだと思います。調味し過ぎずに食べることが大切に考えられるようになってきている。そういう意味で甘いクロワッサンやしょっぱいフランスパンには疑問を感じますし、ふすまをいっぱい入れたパンは消化器官に負担をかけないのか心配になります。  
今、何をどうやって食べるのが幸せなのか、考え直す時期に来ていると思います。それは今までのインフォメーションを覆すことになるかもしれませんが、ヨーロッパの人々が日本の食生活を真似て鮨を好んで食べる時代には、ヨーロッパの伝統的なパンをそのまま真似るのではなく、時代や土地の食文化に合ったパンのおいしさを求めなくてはならないと考えます。料理とともにあって、相乗作用あってこそのパンだと思うのです。

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成田一世 / エスキス シェフパティシエ
1967年青森県出身。1999年パリ1ツ星「ステラ・マリス」、フィレンツェの3ツ星「エノテカ・ピンキオーリ」、2000年帰国後、「ピエール・エルメ」、「レストラン タテルヨシノ」「シャトーレストラン・タイユバン・ロブション」にてシェフパティシエを務め、2007年渡米。NY「ラトリエ・ド・ジョエル・ロブション」へ。NYタイムズ誌「Best of New York」をパンとデザート部門で受賞。2009年台北の「ラトリエ・ド・ジョエル・ロブション」のエグゼクティブ・シェフに就任。2012年「エスキス」のシェフパティシエ就任。ケーキ、焼菓子、チョコレート、パンを統括。「Asia’s Best Pastry Chef 2017」受賞。


(NKC Radar Vol.78より転載)

『わたしの素敵なパン時間』Back Number

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いよいよセントル ザ・ベーカリーがパリ進出~CARRÉ PAIN DE MIE

食パン専門店「セントル ザ・ベーカリー」がこの秋、フランスに進出します。
場所はパリのマレ地区とポンピドゥセンターの間。

パリの店名はCARRÉ PAIN DE MIE(キャレ パンドミ)
CENTREのショップロゴ「C」がCARRÉ(角) の「C」になります。

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セントルといえば国産小麦「ゆめちから」と「きたほなみ」の角食パン「JP」をはじめとする3種類の食パンを製造販売し、併設のレストランでサンドイッチやトーストを楽しめるお店ですが、パリ店も同様で3種類は日本国産小麦の角食パンのほか、フランス産(VIRON)の小麦粉を用いた角食パン、山型食パンを予定。

そしてまた、セントル同様のサンドイッチも予定されており、フルーツサンドもあればカツサンドも、トースターをいろいろ並べて好きに焼いてもらうスタイルも。価格も同等クラスを予定。フランスでも柔らかいパンのニーズが確実に増えているそうです。

オープンは10月に予定されています。

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CARRÉ  PAIN DE MIE(キャレ パンドミ)
住所:5 Rue rambuteau 75004 PARIS


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74歳のペリカンはパンを売る。

10月にユーロスペース他にて全国順次公開予定の映画『74歳のペリカンはパンを売る』の試写を観てきました。

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浅草の人気店「パンのペリカン」のドキュメンタリー映画です。

74歳とは1942年、初代の渡辺武雄さんが浅草でパン屋さんを創業した年から数えたこのお店の年のこと。

 

80分の映画の中には、四代目の渡辺陸さんを中心に、食パンとロールパンだけを作ると決めた二代目多夫さんの志を引き継いだ人々と、ペリカンを愛するお客さんたちの自然な言葉が収録されています。

 

店の前で、ペリカンのパンの味について尋ねられた常連の男性が、空気だったか水だったか、普段はとくに意識しないけれど大切なものにたとえて、普通だよ、でも必ずまた、食べたくなるんだよね、というようなことを言った。


これは私も、多夫さんや、多夫さんのご家族から直接聞いたことがある、この店が大切にしていること、そのものでした。

 

ペリカンのパンを食べたくなるとか、ペリカンという店への理解が深まるとかいう内容ならば私も、ウェブサイトや本やテレビ番組でご紹介してきたことでしたが、映画は、それに加えてなにか、仕事について考えるきっかけをつくってくれたように思いました。
というか、そこがとても重要なポイントだった気がする。

 

なかでも、40年以上もペリカンの味を守り続けているベテランの名木さんの言葉が響きました。

 

職人であるよりもまず、人間なのだから、という仕事の仕方。
自分はどんなふうに自分の仕事と向き合っているか。
この映画を観たひとは、考えさせられるに違いない。

 

テレビ東京の番組を観たことがこの映画製作へのきっかけとなったというプロデューサーの石原弘之さんと監督の内田俊太郎さんは陸さんと同世代。
若さと、温かさを感じる映画でした。

 

私は二代目の多夫さん、三代目の猛さん、四代目の陸さん、そしてご家族や名木さんはじめとする従業員の皆さまに、お客としてもジャーナリストとしてもお世話になってきました。

そして今でも浅草に行くたびに、多夫さんから聞いた東京大空襲の話を思い出します。浅草は焼け野原になり、その後で多夫さんによる、今のペリカンの歴史が幕を開けたのです。

町の人に囲まれて、時代を超えてゆるぎないブランドを守り続けているペリカン。そのペリカンが大切にしていることが詰まった映画です。

 

All Aboutの記事(2009年)

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