「エスキス」成田一世さんインタビュー ガストロノミーとしてのパン。

食に関わる仕事をする人に日々のパンについてインタビューする連載『わたしの素敵なパン時間』45人目のインタビュイーは今年「Asia’s Best Pastry Chef 2017」を受賞された「エスキス」のシェフパティシエ、成田一世さん。

 

食のセンスのあるひとたちはどんなふうにパンを食べてきたのか、今、どんなふうにパンと関わりあっているのか、お聞きしたいという想いがあって、この企画が続いています。貴重なお時間を使ってご協力くださった皆さまと、連載の場をつくってくださったNKC Radarに心から感謝しています。

 

今の時代のおいしさは、素材の味を越さない方向にある
成田一世さん / エスキス シェフパティシエ

フランスとイタリアでパンの位置付けを認識

渡欧したての頃は何を食べても馴染まない感じがしていました。しかし3年、さまざまな地域で食事をし、イタリアでピンキオーリのシェフとして働き始めた頃には、料理とワイン、チーズ、フィレンツェの無塩パンの組み合わせが自分の味覚にしっくりくるようになっていました。ピエール・エルメや吉野建シェフと働く頃には、求められる味を提案できるようになったと感じました。その後ロブションのシェフとなり、10年近くロブションの料理の記憶が積み重ねられた頃に感じたのは、世界のガストロノミーの味わいが軽くなりつつある中で、当時パリのロブションで使っていたプージョランのパンが重くなってきていたこと。パンも料理に合わせて軽くしていく必要があると考え、そういうパンを作る方向に至りました。

エスキスの料理とパン

 ヨーロッパの人たちが来日した時、魅力的に感じてもらえるものを提案したいと考えています。エスキスはシェフのリオネル・ベカが日本の風土に根差した料理を作り、皿やカトラリー、ワイン、パン、最後のデザートまでのすべてのシナジー(相乗効果)を大切に考えるレストランです。ヨーロッパにないもの、ということを一番のポイントにしながら、料理やワインに寄り添うパンを焼いています。発酵のさせ方も日本酒の並行複発酵に近いのです。
リオネルの料理は味がとても淡いです。素材レベルの繊細な味。今の時代のおいしさは、素材の味を越さない方向にあると感じています。料理には「調理」と「調味」という要素がありますが、日本の料理はヨーロッパのそれと異なり、調理のバリエーションが多く、調味のバリエーションが少ない。調理した素材の味に対し調味をできるだけ控えた繊細な料理に合うパンは、白いご飯のような存在です。茶懐石のご飯ならまず「煮えばな」があって、「蒸らし」があって、最後に「おこげ」がありますよね。煮えばなはパンでいえば割ったときのおいしい香りです。だから焼きたてを食べさせたいわけです。そして一口噛んだ時、噛みこんでいった時、味わいはどう変わるのか。冷めたときのテクスチャーはどうなるか。それぞれの局面で理想の温度帯や香り、テクスチャーがある、そんな白飯のようなパンが今の料理に寄り添うと考えます。
私のバゲットはほとんどの味を発酵に使ってしまうので甘くはない。けれど発酵によるアロマがあります。最高級の日本酒が淡麗で辛口というのと同じです。噛み続けていると、口の中の水分を吸ってしまうのではなく、唾液がどんどん出てくる。最後に残る微かな酸味、これが重要です。唾液の量が食べものをおいしくし、食欲を増進させ、次の一皿が楽しみになる。それが私の考えるガストロノミーです。

パンもクロワッサンも軽く焼き戻すのが前提

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パンは基本、焼き戻しておいしくなかったら駄目です。湯気の中に香りが広がります。だから一度温めて食べて欲しい。クロワッサンにフレッシュフルーツや生クリームを盛りたければ、家で温めなおしてからご自分でアレンジすることをお薦めします。それが本当においしい食べ方だと思いますから。
エスキスのクロワッサンは日本の発酵バターを生地の中で発酵させ、フランスの風味に近づけています。バターは対粉80%。発酵生地だけれどフイユタージュのように層も薄く、甘くない。一般的に日本のクロワッサンは甘過ぎて、ジャンボンクロワッサン(ハムサンド)など作れない気がします。

素材の味を越さない料理との相乗作用

小さい時に長く入院して、その時期に味覚が出来上がったことはラッキーだったと思っています。病院食っておいしくないけれど、病気に影響しない必要最低限の栄養が含まれていますよね。そこが今、食の世界で注目されてきているところだと思います。調味し過ぎずに食べることが大切に考えられるようになってきている。そういう意味で甘いクロワッサンやしょっぱいフランスパンには疑問を感じますし、ふすまをいっぱい入れたパンは消化器官に負担をかけないのか心配になります。  
今、何をどうやって食べるのが幸せなのか、考え直す時期に来ていると思います。それは今までのインフォメーションを覆すことになるかもしれませんが、ヨーロッパの人々が日本の食生活を真似て鮨を好んで食べる時代には、ヨーロッパの伝統的なパンをそのまま真似るのではなく、時代や土地の食文化に合ったパンのおいしさを求めなくてはならないと考えます。料理とともにあって、相乗作用あってこそのパンだと思うのです。

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成田一世 / エスキス シェフパティシエ
1967年青森県出身。1999年パリ1ツ星「ステラ・マリス」、フィレンツェの3ツ星「エノテカ・ピンキオーリ」、2000年帰国後、「ピエール・エルメ」、「レストラン タテルヨシノ」「シャトーレストラン・タイユバン・ロブション」にてシェフパティシエを務め、2007年渡米。NY「ラトリエ・ド・ジョエル・ロブション」へ。NYタイムズ誌「Best of New York」をパンとデザート部門で受賞。2009年台北の「ラトリエ・ド・ジョエル・ロブション」のエグゼクティブ・シェフに就任。2012年「エスキス」のシェフパティシエ就任。ケーキ、焼菓子、チョコレート、パンを統括。「Asia’s Best Pastry Chef 2017」受賞。


(NKC Radar Vol.78より転載)

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