パンと詩のある風景を巡って【2】

2012年10月27日(土)14時~17時、夙川のameen's ovenにて開催されたイベント

「ことばの種、ふくらむパン そしてsomething good ~パンと詩のある風景を巡って」

の全記録を、補足の引用とともに公開しています。続編です。

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●MIHOKO

ミシマさん、この店ってどんなところ?パン屋さんて何でしょうか。

ミシマさんはどんなパン屋さんでありたいと思うのでしょうか。

こんな感じで仕事していきたいという、ミシマさんの好きな詩がありましたよね。

●ミシマ

はい。ちょっとひとつ、詩があるんですけど、山尾三省っていう人で、

もう15年くらい前に亡くなっているんですが、屋久島で田舎暮らしをしている人

でした。60年代初めにインドにヒッピーみたいにして渡って、有機農法って

言葉もなかった頃に仲間と始めて、その流れが今、ポランとかの草分け的存在と

なっていて、そのあと屋久島に入っちゃったひとなんですけどね。

「夜明けのカフェオーレ」って詩です。何が好きってなにかよくわからない

んですけど、何かこんな感じでパンとかものづくりをしたいなぁという詩です。

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「夜明けのカフェ・オーレ」  山尾三省

フランスに行ったことがないから

本物のカフェ・オーレのことは知らない

今晩もとても寒く もうすぐ夜も明けるので

台所に行き

山羊の乳にインスタントコーヒーの粉をふりかけて 

カフェ・オーレを作った

とても熱い おいしいカフェ・オーレができた

山羊よありがとう

と思いながら ひとりでしみじみと飲んでいたら

眠っているはずの山羊が 山羊小屋で

ひと声 べえー と啼いた

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●MIHOKO

こんなふうに仕事したいって思っていらっしゃるんですか。

●ミシマ

本物とかオーガニックっとかここにあるような気がするんですよ。

それは何っってうまく言えないんですが、これがフランスのパンですよ

とか材料がいいからってことがやりたいわけじゃないなぁ。

そういうパンが作りたいわけじゃなくてなんかこういう、

山羊がべえーってなくようなそういうパンが焼きたいなって感じに

思い当たったんです。

●MIHOKO

そういうの、記事に書いていきたいなぁ。そういうことを多くの人に

知らせていきたいなぁってわたしは思うんです。

たぶん、オーガニックであるとか、何かこだわりの素材であるとか、

そういうトピックスが記事には必要と思われているかもしれない。

でもそうじゃないところ、言葉にならないところ、書きたいんです。

自分の中でこねくり、こなくりまわしているんですよ。

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●ミシマ

よく困る質問があるんですよね。こだわりは何ですか。って。

●MIHOKO

コンセプトは何ですか、って(笑)。

●ミシマ

一番困るのはあのぅ、、、どうしてパン屋になったんですかって。

それひとことで答えろって言われても難しいし、結局出来上がってきた

記事はべつにわたしが何をしゃべっても同じ文章で、だいたいあがって

くるんですよね。おきまりの文章があがってくる。

●MIHOKO

あぁ、何かそうなってしまう仕組みみたいなのがあるんでしょうね。

打破したいですね。

●ミシマ

期待します。

●MIHOKO

はい。

こだわりのパンといえば、小山さん、フランスに3年間住んでいらして、

さぞかしいろいろなおいしいパンを召しあがったんだと思うんですよ。

ポワラーヌとかいろいろなパンをご存じで三ツ星レストランもたくさん

ご存じなのに、パンに対するスタンスが……ね、面白い話ありましたね。

ピクニックの話。

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●小山

辻調のフランス校ってお菓子のコースもあって、そこでバゲットも焼いて

いるんですね。うちの職員たちは超一流の職人さんなので、村のパン屋さん

では買いたくない。まずくて仕方ないから本当は買いたくないんですよ。

でも村のパン屋さんはとても大事で、買わないと村の人たちに嫌われるので、

買ってあげないといけないんですね。

それから、ストックっていうスーパーもありました。

大手のメーカーが焼いているフランスパンが売られていて、それもまずい

んだけれど、その辺のフランス人はみんなそういうパンを食べて大きく

なっているわけですよね。

ようするに、日本人がみんな吉兆とか瓢亭に行って懐石料理を食べていない

ように、彼らはパンは村のパン屋に買いにいくものと思ってそういうパンを

食べている。こだわりパンなんて考えないし、ナショナルのパン焼き機なんて

持っている人は一人もいない。そんな場所である時ピクニックに誘われて

行ったんです。

フランス人のピクニックってどんなにおしゃれなんだろうと思っていたら、

バゲットをそのスーパーで買ってくるんだけれども、5人しかいないんですよ、

なのに20本くらいあったんです。あとはチーズとかワインとか、「えっ!」

みたいな感じで……。ひたすらバゲットを切って。チーズとあわせてどう、

というよりはパンだけムシャムシャ食べながらしゃべって、その時にやっぱり、

あぁ、これが僕らだったらお母さんが何はともあれおむすびを握る、みたいに

バゲットがある、ということだなぁと思いました。

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●MIHOKO

ね。ときどきこういう話を聞かないと、日本で、東京でパンの情報の最先端を

見ていたりすると世の中みんな「こだわりの」パン屋さんだけで出来上がって

いるような気がしてきちゃったりするんですね。

ああそうだよな。フランスって……そういうところもあるんだって、

おもしろいわけです。

●小山

フランスに行って懐かしいのはこういうクソまずいストックのパンとか、

駄菓子みたいなものです。だっておいしいものは日本にも入ってきているから。

●MIHOKO

「マズおいしい」っていうことですね。

●小山

うん、だから日本に住んでいたことのある外国人が、コンビニのおむすび

食べたいなってふっと思うみたいなことかな。

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●MIHOKO

地に足のついたパンの食べかたをしたいし、できるならおいしいものと

組み合わせて食べたいとわたしは思っています。

いま、いろんなこだわりのパンが世の中にいっぱい溢れていておもしろい

んだけれど、パンはそもそも粉と酵母と水と塩だけのパンであって、何かと

組み合わせて食べることがいいんだってわたしはずっと書いてきているんです。

ただ、日本ではなかなかそれが売れないらしくて、やはり、日本のパンは何か

混じったパン、ameen's ovenにもありますね。カボチャのパンとかイチジクとか

クルミとか。何かが入ったパンのほうが、日本人は好きなんですね。

イタリア人の奥さんがいるイタリアンのシェフにインタビューした時に

面白かったのは、家でパンを食べる時、自分はレーズンやクルミ入りのパンを

よく食べ、奥さんはほとんどの場合がプレーンなパンを好んで食べると言う。

でも中華料理を食べに行くと自分は白いご飯におかずを食べたいと思うのに、

奥さんは炒飯を頼みたがると。米を主食としない国の人が混ぜご飯を好きな

ように、日本人もパンに対してそうなんだなと思ったんです。

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で、「MIHOKOさんはシンプルな食事パンを提唱しているけれど、

なかなかパン屋ともなるとそればかりは厳しいんですよ」とか、

「できるならそうしたいけれど、嗜好性の高いものしか売れない。

飽きられない商品開発に頭を痛めている」と言って毎月変ったパンを

苦しみながら産み出すパン屋さんの声も聞くわけです。

これはパンを買う人がもっと、自分でチーズでもスープでも合わせるといいもの

を考えて組み合わせて食べることができるようになったら、シンプルなパンでも

売れるようになるし日本のパン食文化はもっと豊かになるんじゃないかというんで、

Bread+something goodという運動をしてきたんです。

でも、どうなのでしょうか。最近は日本独自のパン食文化もいいものだと

思い始めています。この間も、辻調塾という辻調さんの主催している勉強会で

こういうお話をさせていただいた時に「それでもわたしはあんぱんが好き」という

方がおられて、なるほどなぁと思ったり、いまは日本の小麦で日本独自のパンを

つくろうとされる方も増えてきているし、それも日本のパン食文化が豊かになって

きているひとつのかたちなんだよなぁというふうに思い始めています。

12年くらいこんなことをしてきて……はい、実感として。

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●小山

あの、たまたま料理の学校に勤めているということもあるので時々思うんですけど、

世界中で日本の職人さんほど外国の人に負けない職人になる民族はいないんです。

例えばイタリアでガラス工房に入ってそこにのめり込むとイタリア人顔負けない

くらいにガラス職人になっていって、当然イタリア語もできるようになって。

うちの学生も今まで1万人くらいがフランスの学校に留学しているんですけど、

ひとつでもシェフの言うことを理解できるように、研修に行ってもちゃんと

働けるようにと、真夜中までフランス語を勉強して、フランス料理を自分のものに

して日本に帰ってくる。

そんな卒業生がこの夙川のあたりにもたくさんいますけれどもね、こんなことって

外国人にはありえない。置き換えてみると、アメリカの、ある料理学校が過去30年

の間にアメリカ人の学生を1万人日本に送りこんで、彼らは日本語を懸命に勉強

して、なんてありえないでしょう。イタリア人でもフランス人でもありえない。

例外的な方は何人かはいらっしゃいますけどね。

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というくらい、ぼくたち、この列島の人たちが、外国のものを学ぶ時のこのパワー、

エネルギーはすごいものがある。それこそ、パン職人もフランスのクープデュモンド

で優勝する職人がいたりドイツの職人も知らないようなことを知っている職人が

出てくる。これは何なんだろうなと思ったときにようするに、僕らはごはんと味噌汁

だねといいながら、でもどこかでパンも食べたいときに、ちゃんとパンを勉強する人

たちが同じ日本人でいる。

本屋さんや図書館に行けば、日本の文学の世界ほど、海外のありとあらゆる言語を

翻訳しようという研究者、翻訳家がいてこんなにも外国語の翻訳本のコーナーが

充実している国はないんです。

フランス人だって異国のものに出合うかたちで日本の浮世絵に出合って絵を描いて

いますよ。そういう異国のものに出合うのは、どの国でもあることだけれど、ただ、

この日本において異国に出合うときの、ムキになる出合い方が他の国のそれとは

違うんですね。

つまり、言葉とか主食ってものをね、どこの国の言葉にも影響されない言語を持ち、

どんなに洋食化されようとも絶対にご飯を捨てない僕たちがいて、フランス人の詩を、

日本人が翻訳したほうが素敵だっていうくらいに翻訳できる作家も持っているし、

フランスでもなかなか食べられないよねっていうようなバゲットを焼く職人を僕たちは

持っている。だからとても幸せな国に住んでいるんです。

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●MIHOKO

そうですよね。ほんとに……!

小山さん、ミシマさんと共通にご存じだったパンの詩がありましたよね。ここらへんで

それを読んでいただけますか。

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The Flowerburgers

Baudelaire opened

up a hamburger stand

in San Francisco,

but he put flowers

between the buns.

People would come in

and say, "Give me a

hamburger with plenty

of onions on it."

Baudelaire would give

them a flowerburger

instead and the people

would say, "What kind

of a hamburger stand

is this?"

フラワーバーガー

ボードレール

サンフランシスコに

ハンバーガー・スタンドを開いた。

そしてパンの間に

花をはさんだ。

人が店にやってきて

言った、「ハンバーガーを

一つ、タマネギを

たくさん入れて」

ボードレールはかわりに

フラワーバーガーを出し

人々は言ったものだ、「いったい

これはどういうたぐいの

ハンバーガー・スタンド

なんだ?」

「チャイナタウンからの葉書」

R. ブローティガン池澤夏樹訳)

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●ミシマ

ブローティガンをもうひとつ読んでいいですか。

僕、ブローティガンについてそんなにピンときたことがなかったんですが

今回のイベントを準備するやりとりで、読み直してみたら、思ったことが

あって。彼の詩は短いんで、読みますね。

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In a Cafe

I watched a man in a cafe fold a slice of bread

as if he were folding a birth certificate or

looking at the photograph of a dead lover.

茶店

茶店でぼくが見ているとある男が一切れのパンを

出生証明書を折りたたむように折り、死んだ愛人の

写真を見るように見ていた。

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●ミシマ

っていうこれだけの詩なんですけど、それでなんか、さっきの小山さんの

硫黄島からの手紙』の映画の話で、パンが平和とか幸せの象徴っていうか、

『しあわせパン』って映画もありましたけどね、なんか、ブローティガン

詩を読んで、その幸せがなくなったときっていうか、一緒に食べる人が

いなくなったときのことを彼はいっぱい書いているよなって思ったんです。

パンってある意味で幸せなんだけど、パンは家族で食べた、みんなで食べた

って記憶が誰にもあるものだから、それをひとりで食べるのが淋しいなって

いうか……。

そういうブローティガンの淋しさがあるのを思って、ああ、この人いいなって。

パンは分かち合うものですが、分かち合う人を失ったときのことを書いている。

家族一緒に食べたパンを今ひとりで食べている、そういう淋しい感じもあるん

だってことが今回の発見でした。

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●MIHOKO

分かち合うひとがいなくなった時、その淋しさが際立つわけですよね。

仲間(COMPANY)と分かち合うカンパーニュを食べていたりすると。

●小山

なにかその、あたりまえのようにしてあるということが見えなくなる状態が

僕らの日常で、それが幸せだったりそうでもなかったりするわけですが、

それに気がつくのが、非日常の瞬間ですね。

<つづく>