パンと詩のある風景を巡って【3】

2012年10月27日(土)14時~17時、夙川のameen's ovenにて開催されたイベント

「ことばの種、ふくらむパン そしてsomething good ~パンと詩のある風景を巡って」

の全記録を、補足の引用とともに公開しています。【1】【2】に続く、最終回です。

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●小山

ひとつ、詩を読んでいいですか。

友部正人といって、フォークシンガーで詩人の彼が歌のためでなく、詩集のために

書いた詩です。

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「パンの悲劇」 友部正人

どんなに腹が減ってても

パンの匂いはまず心にしみる

空っぽの胃袋を満たす前に

心の中の空想を満たす

街に漂うパンの匂いは

行ったこともない町を思い出させる

街に漂うパンの匂いは

迷子になった誰かの記憶

橋の下のフルート吹きが

日暮れの空に音符を飛ばす

焼きあがったばかりの黒パンが

ガラスの棚に積まれていく

パン屋の前を通りかかって

思わず空想を満たしたものが

アップルパイだと寝床で気づいて

その翌日走って買いに行く

パンの匂いに出会うたびに

空腹だと思っていた人が

本当は想いが空っぽだったということに気がついて

会いたかった人のことを思い出す

パンは人の空想を満たし

パンは人の空腹も満たす

汗だくになってパンを焼くことは

あらゆる空っぽへの反逆なのだ

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●MIHOKO

この詩。今回いろいろなパンの詩を、ミシマさんと小山さんに教えていただき

ましたが、これはきょう初めて読んで、いいなぁと思った詩でした。

「想いが空っぽだったということに気がついて」というところがいいですね。

お腹が空いていたのではなくて、心の中が淋しかったんですね。

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さっき小山さんが、「あたりまえのようにしてあるということが見えなくなる

状態が僕らの日常で」とおっしゃいましたが、それで思い出したのですが、

昔、「あなたにとって幸福な朝食とは何ですか」というアンケートを取った

ときのことです。これは『日々のパン手帖』に書いたんですが、最も幸福なのは、

今、ここで、食べている瞬間に、幸福だと気がついている人だな、と思うんです。

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幸せな朝食

幸せな朝食とはどんな朝食ですか

というアンケートをとったことがある。

楽しみながら書かれたに違いない回答には

現在、過去、未来の幸せが混在していた。

懐かしい朝食の想い出話を読んでせつない気持になった。

料理人や小説家なら、二度と戻れない

素晴らしい過去の記憶を再現できるかもしれない。

憧れる朝食の情景を綴る人がいて、わたしもその夢を垣間見た。

未来は不確かだけれど、わたしはいつも夢を見ている。

最も心惹かれたのは、今ある幸せな朝食について、教えてくれたものだった。

結局、幸せなんてごくシンプルなこと。愛すべきことたちの存在に、

リアルタイムで気がついているかどうか、なのかもしれない。

朝の空気やコーヒーの香り、誰かの笑顔、ほどよく焼けた

トーストみたいに、ささやかなことたちに。

『日々のパン手帖』(メディアファクトリー)より

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●MIHOKO

とびきり幸せな過去があって、今一緒に食べるひとが不在なら、

その淋しさは、ひとしおだな。

●ミシマ

なんか幸せのそのあとに、「フラワーバーガー」がやってきたかなって思うんです。

だから人にパンを差し出したんだって。

●MIHOKO

ブローティガンは自殺してしまうんですよね。孤独で……?

●小山

アル中で鬱だったんですよね。『東京日記』という詩集もいいですよ。

●MIHOKO

いい詩集がたくさんありますね。皆さん、ぜひ、図書館などで読んでみてください。

そろそろ、時間でしょうか。

せっかくなので、何かもうひとつくらい朗読されますか。

02

●小山

僕がパンを書いた詩を読みましょうか。

これね、ちなみにまだ見本なんですけども、MIHOKOさんの写真がすごく素敵なんで、

詩集を作ってみようと思って。彼女の写真がまず先にあって、それに対して

その写真の説明ではなくて、インスピレーションで詩を書く、というのを続けて

やってみたんです。

これは水引草の写真につけた詩なんですが、パンが出てきます。

ちょうどこの詩を書いた時、京都大学の数学の教授がなんかすごいことを発見した

という新聞記事を読んだことが発端となっています。

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「雲の恋人」より  小山 伸二

世界中の数学者たちが

解けない難問と格闘している

空間への哲学的アプローチが変わるかもしれない

そんな新聞記事を食卓で眺めながら

トーストを齧る朝に

台所の窓のそとでは

水引草が小雨に揺れて

会えない恋人との空間を

コーヒーの香りが

流れていく

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●MIHOKO

ありがとうございました。

きょう、わたしがお話をし続けると思っていた方がいたら申しわけないんですが、

わたしの、中身は空……じゃないんですけど、自分自身が媒体だと思っていて、

いろいろ面白いことを知っている人や、いろいろな職人さんが知り合いにいます。

素敵な方たちばかりです。そういう方々の仕事を常に編集して書くという、

その人たちが普段見せていない素敵なところを伝えていきたいな、というのが

わたしの仕事のテーマのひとつです。

きょうは、ミシマさんと小山さんと、こんなふうにお話できたことが、とても

うれしかったです。ありがとうございました。

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詩ではないんですが、わたしから最後にひとつご紹介したい小説があります。

もしかしたら皆さんご存じかもしれませんが、"A small,good thing"

(ささやかだけれど、役に立つこと)というレイモンド・カーヴァーの小説です。

村上春樹さんが翻訳をされていて、最も好きな短編小説のひとつとおっしゃって

います。

子どもの誕生日の日に、その子を交通事故で亡くしてしまう両親がいて、前から

パン屋さんにバースデーケーキを頼んでいるんですね。

アメリカではパン屋さんの売上の多くの部分をカラフルなバースデーケーキが

占めるといわれていますが、そういうのを注文していたんでしょうね。

でもその日、子供が事故にあって、親は動転しているから頼んだことを忘れて

しまって、パン屋さんは一所懸命に焼いたのに引き取りに来ない、無駄になった

ことに頭にきて、嫌がらせのように何度も電話をしてしまうんです。

奥さんも頭に来ていて。でも、事情を知ったときにお互いが謝り、パン屋さんは

言うんです。さっきの『硫黄島からの手紙』ではないですが、「あたしはただの

パン屋ですけど」って。

そう言って、焼きたてのシナモンロールを差し出すんですね。

両親はたぶん、自分たちがお腹がすいているかどうかもわからないくらい悲しみの

底にあるときに、差し出されたパンをどんどん、ただもくもくと食べるんですね。

そういうシーンで終るんだけれど、わたしはなにかというと、これがパン屋さんの

すごさだなと思うんです。

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「何か召し上がらなくちゃいけませんよ」とパン屋は言った。

「よかったら、あたしが焼いた温かいロールパンを食べて下さい。ちゃんと食べて、

頑張って生きていかなきゃならんのだから。こんなときには、物を食べることです。

それはささやかなことですが、助けになります」と彼は言った。

彼はオーヴンから出したばかりの、まだ砂糖が固まっていない温かいシナモン・

ロールを出した。彼はバターとバター・ナイフをテーブルの上に置いた。

(中略)

二人はロールパンを食べ、コーヒーを飲んだ。アンは突然空腹を感じた。

ロールパンは温かく、甘かった。彼女は三個食べた。パン屋はそれを見て喜んだ。

それから彼は話し始めた。彼らは注意深く耳を傾けた。

二人は疲れきって、深い苦悩の中にいたが、それでもパン屋がずっと胸の底に

かかえこんでいた言葉にじっと耳を傾けた。パン屋が孤独について、中年期に彼を

襲った疑いの念と無力感について語り始めたとき、二人は肯きながらその話を聞いた。

この歳までずっと子供も持たずに生きてくるというのがどれほど寂しいものか、

彼は二人に語った。オーヴンをいっぱいにしてオーヴンを空っぽにしてという、

ただそれだけを毎日繰り返すことが、どういうものかということを。パーティの

食事やらお祝いのケーキやらを作り続けるのがどういうものかということを。

(中略)

彼は世の中の役に立つ仕事をしているのだ。

彼はパン屋なのだ。

(中略)

「匂いを嗅いでみて下さい」とダーク・ローフをふたつに割りながらパン屋は言った。

「こいつはがっしりしているが、リッチなパンです」

二人はそのパンの匂いを嗅ぎ、パン屋にすすめられて、一口食べてみた。

糖蜜とあら挽き麦の味がします」二人は彼の話に耳を傾けた。

二人は食べられる限りパンを食べた。彼らは黒パンを飲み込んだ。

蛍光灯の光の下にいると、それはまるで日の光のように感じられた。

彼らは夜明けまで語り続けた。

太陽の白っぽい光が窓の高みに射した。でも誰も席を立とうとは思わなかった。

『ささやかだけれど、役にたつこと』レイモンド・カーヴァー 村上春樹訳 より

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<パンとあうsomething goodな料理メニュー>

トークセッションのあとは、ameen's ovenのBread+something goodを楽しみました。

事前に、思いつくままにメニューご提案させていただいていました。

たとえば、日本のホクホク系のカボチャのスープにショウガを利かして

カリカリのプレーンラスクなどを添えたものとか、ファラフェルとか、

ブリーやカマンベールにいちくるスティックを添えましょうとか、

リコッタチーズにフルーツ、ナッツをちりばめてハチミツがけして、

和栗のスコーンを甘栗のサイズに焼いて……とか。提案というよりリクエストです。

それに応えてくださったメニューは以下の通り。

トークといっしょで、盛りだくさん。心にしみじみと浸透していくような、

このタフでハードな日々を乗り越えていく身体をつくってくれそうな、

心のこもったパンと料理でした。

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●Bread

ビオミッシュ

パンプキントースト

いちくるスティック

ハードトースト

GO-BOコンプレ

キャロットライ

雑穀栗ごはんパン

キタノカオリ小麦のバゲット

ノルマンディライ

●+something good

九重かぼちゃのポタージュスープ ジンジャー風味 カリカリラスク添え

ひよこ豆となすのトマト煮込 赤味噌風味

ファラフェル

豆色々サラダ(丹波黒枝豆、金時豆、青大豆)

キャロットラペ オレンジ風味

ごぼうとプルーンの赤ワイン煮

吉田牧場のカマンベールチーズ

オリーブオイル+さんご塩

カラマノリオリーブ

にんじん葉のジェノベーゼ

ヴィーガン バーニャカウダ風

坊ちゃんかぼちゃ、レンコン、さつまいも、にんじん、トマト、なすのグリル

(干しシイタケのグリルソース)

吉田牧場のリコッタチーズ レインボーキウイと無花果

ナッツ(くるみとかぼちゃの種)のハチミツ漬け

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<bin ジャムと珈琲あるいはその他>

イベント終了後の打ち上げは、芦屋の「bin ジャムと珈琲あるいはその他」にて。

今回トークセッションをした二人の詩人、ミシマショウジさんと小山伸二さんの

あいだに、わたしは「+」として存在し、二人はこの日が初対面だったのでしたが、

言葉に力を持つ二人のこと、実際に対面する前からいくつかの詩を通じて深く

対面していたのでしょう。「bin ジャムと珈琲あるいはその他」にてもまた、

さまざまな詩の朗読などを交わしながら、話は次回のイベントの計画へと……。

なんて素敵なことでしょうか。

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<後日談>

東京へ帰ってきた後、ミシマさんから「こんな詩があるのを忘れていました」と

メッセージが送られてきました。2007年に「こねくりこなくり日誌」に書いていた

ことなのだそうです。

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並んだふたつの手、それは従順な生き物のように、

もしくはよくできたロボットのようにパン生地をつまみ、

折りたたんでいく、次から次へと決まった手順、決まった動作。 

「よくきちんと動くなぁ」

そーっと人の仕事を眺めるように感心しているのは僕であり、

やっぱりその手とつながっているのも僕なんだけど……

まだ誰も作業に来ない朝ひとり、忙しくも静かに働いていると、

そんな少し不思議な時間がやってくることがある。  

四方田犬彦さんが、こんな詩を書いている。

「パンのみにて生きる・4」 (『人生の乞食』四方田犬彦

指には名前がない  

きみが捏ねるこのパンは  

炉の中で等しく膨らみ 

等しく焼かれ  

どのパンとも区別がつかない

胡桃を入れてみようか  

蜜を溶き混ぜてみようか  

心はさかしらに考える 

だが  

指は白い泥と期待を捏ねあわせるだけ

名づけられることの憂鬱  

形を定められることの悲しみ  

でも 

きみがこねるパンには記憶がない  

きみの忠実な指のように

誰かが明け方に口笛を吹きながら  

きみの焼いたパンを買ってゆく  

捏ねられて焼かれたパンと  

捏ねられて焼かれた泥は 

どこが違うというのか

焼きあげられたパンの見事さ  

名づけられもせず 

ただそこに置かれている  

その膨らみ 

その微かな焦げ目  

その香りたつばかりの沈黙

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職人の仕事というのは本来アノニマス、作者未詳のものであったのでは、

ということを考えました。そして、パンをつくる仕事も、あるいは

言葉をこうして書いていく仕事も、自分の想いとはべつのところで、

なにか、日々その務めを担当させていただいている、そんな気がして

くることがある。ミシマさん、わたしもそんな不思議な時間を感じる

ことがあるよ。これは次のイベントで朗読していただこう……。

あまりに素敵な詩だったので、小山さんにもコピーをお送りすると

「ちょっとしびれました。amazonで注文しちゃったよ!」

「……ですって。ミシマさん!」とそれをわたしはまたミシマさんに伝え……。

わたしたちの詩とパンの旅はこの後も、続いていくかもしれません。

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<おわりに>

このイベントにお越しくださり、ともに楽しんでくださった皆さまと

ミシマさん、小山さんに、そしておいしい料理を作り、サーヴしてくださった

ameen's ovenのスタッフの皆さまに、心より感謝申し上げます。

このイベントで出合ったパンと「何かいいもの」=「料理」「言葉」「詩」

あるいは「人」との出会いが、皆さまのこれからの、何かいいことのきっかけに

なりますように。

ありがとうございました。

いつか、またどこかで、お会いしましょう。