『ファッションフード、あります。』の楽しみ方

辻調塾にて、『ファッションフード、あります。』の畑中三応子さんのお話を伺った。

1970年頃、量も栄養も満ち足りて、情報の時代となって始まったポップカルチャーとしての「ファッションフード」史。

西洋崇拝系、和洋折衷系、栄養神話・不老長寿系などなど、とくに海外から入ってきたもの、外からやって来たものへの飛び付き方が面白い。

畑中さんの本を読む人は、100%自分の小さな頃の食の記憶を懐かしむと思う。食の思い出は誰にとってもきっと、印象深いものだから。

塾ではそういう感想を話す方がたくさんおられた。そして、畑中さんのこの素敵な作品を、自分の職業に照らし合わせる人も少なくなかった。料理人が、料理研究家が、ライターが、ジャーナリストが、編集者が、デザイナーが、それぞれ自分の仕事のことを見つめた夜だった。

わたしは文中に書きぬかれている、昔の流行最先端の雑誌の文章の古臭さ、恥ずかしい感じが、面白いと思った。今書いている文章を、数十年後に読むと、気恥ずかしい感じがするだろうか?と思ったりして。

そして、パンのこと。

日々飽きることのない「糧としてのパン」について大切に考えていながら、パン業界であれ、メディア業界であれ、利潤を追求すれば、視聴率を、購買数を、アクセス数を上げなければならず「季節のパン」「パンのトレンド」などファッション的な部分を無視できないことを、さまざまな思いで受けとめ、首をひねったり、うなずいたりしながら、考え続けている。畑中さんはわたしに、パンは良くも悪くも、ファッションフードの重要アイテムなんです、と言った。ほんとうにそうだ。西洋崇拝系、和洋折衷系、栄養神話・不老長寿系全てにおいて。

青山通りでフランスパンブームが起こる前の年に生まれて、IT革命の頃にインターネットの情報サイトでの仕事を始めた。そのわたしが、ファッションフードとしてのパンを否定することはできない。

でもやはり、情報で消費される食べ物としてパンを考えたくない。はやりすたりのない、ベーシックなトラディショナルな、シンプルでナチュラルな、(そんな言い古された言葉は軽薄に聞こえるかもしれないけれども)日々の糧としての、白いシャツのような、、、そうだ、「白いシャツ」だった。カジュアルにもフォーマルにも着こなせる、一年中季節を問わず何年も着られる白いシャツのようなパンを、追求していきたいな。だってそれが本当のお洒落ってものだもの。

……と、それもまたファッションなのだろうか?

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写真は交流会で代官山の蜜香、村木さんによるファッションフードをテーマにしたデリバリー。ティラミスがデザートではない一品だったのは彼女の遊び心だった。過去の流行の匂いはあれど懐かしいというよりは新しい料理を、愉しませていただいた。ラスクはフィンガーフードにとって、お皿にもスプーンにもなる、重宝な素材だと思った。テンメンジャンとピーナツペーストときなこと粉糖のハイカララスクも初めての味わいだった。