2014年、新しい年に思うことと「パン日記」ファイル

あけまして、おめでとうございます。

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新年はチクテベーカリーのシュトレンを愉しんでいます。師走の大仕事が終わった後、ゆっくりシュトレンを楽しむ、というのは、以前他のパン屋さんにも聞いたことがあります。わたしは昨年そんなに大仕事はできなかったけれども、ひとに必要とされ、ひとの幸せな食の一端を担っているひとたちと、こうして関われていることに感謝して、いただいています。

年末はいつも通り、おせちをつくって実家に届け、帰ってきてから深夜に一番近くの神社に初詣。甘酒接待や地元の農作物の福引をする近所のひとたちと新年のご挨拶。

おせちを届けるようになったのは父一人になってからだけれど、この習慣は続いている。日が昇って、昼間に夫と散歩。隣町の大きな神社は長蛇の列をなしていたのであきらめて、お寺に参拝。以前、薪能に行ったひろいお寺だ。

いつもはひとがいない境内はお線香を炊く人や独楽まわしに興じるこどもたちで賑わっていた。お正月の神社仏閣はひろく、ひらかれている感じがする。

わたしたちがセルフタイマーで記念撮影をしようとしていたら、お坊さんが出てきて写真を撮ってくださった。

わたしは、カトリックの家庭に生まれ育ち、大晦日や新年はミサに出たものだったが、最近はこんな調子である。

昨年、箱根のお寺で生まれて初めて自らが直接かかわって、伯母の永代供養の手続きをする、という経験をした。敬虔なクリスチャンであったのに今では教会に行かれなくなってしまった父のこともあるが、宗教とは何だろうと最近よく考える。

今この日本に生きるわたしにとって、特定の宗教というものは民族や家族、お墓の問題など便宜上あるもので、神さまの存在は結局一緒でないかと思いはじめている。

特定の宗教を信じる人もそうでないひとも、年の一区切りがつく年末年始は、目をとじて、手をあわせて、礼をして、今年を感謝し来年を祈願をしたくなるのだ。それはきっと、いいことだ。

そしてこの時期に限らず、毎朝毎晩、空を眺めると、同じように祈りの気持ちになる。流れる雲や日の陰りや月の満ち欠けを眺めているときに。

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晦日、実家の本棚の奥に母のファイルがあるのを見つけた。それはかつてのこのBread Journalを父がインターネットをしない母のためにプリントアウトしたものだった。くすぐったい。そしてこの両親のもとに生まれていたことに感謝し、こんなでごめんなさいと懺悔し、よりよく生きたいと願う。みんなが幸せでありますようにと祈る。

父が元気でいるうちに、もう一冊だけ、本を出せたらいいと思う。

自分の書くことが、誰かの、何かいいことのきっかけになりますように

と、思いながら文章を書いている。わたしは今年も、それでいく。

ずっと、それでいく。

また、パンのことからそれてしまった?

こういう日もあるけれど、ここでまた書くことを続けていきたいと思います。

今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。