Painについて

フランス語読みでなく英語読みで、パンではなく、ペインについて。

昨年から今年にかけてわたしの内側は、パンに対して沈思黙考していた。

パンの仕事に関わる友人たちは相変わらず、日々の食の愉しみをわたしに直接あるいは間接的に分け与えてくれて、彼らの言葉や生き方はわたしにとってパンより興味深く魅力的であったけれど、いくつかのできことがかさなって、気がつくとわたしにとってのパンのイメージがすっかり、Pain(ペイン)になっていたのだった。どんなことがあったって自分の弱気に負けてはいけないのだけれども。

パンのおいしい、たのしい、すてき、なことを取材しようと向かった先にいくつかのペインがあった。彼らは痛みを、怒りや哀しみを抱えていた。そういうことについて、わたしは今まで書いてこなかった。誰も読みたくないものが出来上がると思ったから。でも、もし、目を凝らして痛みを見つめたら、その先に光が見えないだろうか。誰もがペインを持っている。その光の方向へ一緒に行くことはできないか。いまはそんなことを考え始めている。