BREAD&CIRCUSのレシピブック
ついに出版されました。
『BREAD&CIRCUS 粉からおこす自家製天然酵母のパンづくり』
(寺本五郎 寺本康子著 柴田書店)
旅先の思い出や海外の文献をきっかけに生まれた
ブレッド&サーカスのパンづくりは独特です。
最初にブレッド&サーカスのパンを目にしたとき、
どこか遠い国のパンのようだと感じました。
あまり見かけない、味わったことのないパンばかりだったからです。
しばらくしてから「また食べたい」と懐かしく焦がれるような気持ちになるのも、
昔、旅先で食べたパンのようだった。そういう気持ちになったときに、ほかの店のパンでは代えがきかなかった。
ブレッド&サーカスのパンはブレッド&サーカスにしかないものだった。
この本を読んで、腑に落ちました。
ブレッド&サーカスのパンづくりは、
大きな木の実のような固形種から始まります。
一番最初に全粒粉と水をこねて、まるいかたまりをつくり、
それを全粒粉の中に埋めておき、掘り出しては固くなった皮をむき、
粉と水を足してこね……という工程をなんどか繰り返し、
10日ほどかけて固形種をつくり上げます。
その一部から3~4日かけて液種(ホワイト、ライ、全粒粉の3種のスターター)を、
さらに発酵促進や風味のための発酵種(バームとビガの2種類)をつくります。
そしてようやく、それぞれのパンの生地種の準備に入るのです。
ここまでで、目をまるくするか、逃げ腰になるか、考え込んでしまうか、
ひとによってさまざまな反応があると思います。
「実験のようで楽しかったとも言えます」
と康子さんは書いていますが、独学でレシピを確立し、
20年近くも店を営んで来られたその道のりは、さぞ大変だったことでしょう。
大変で大変で、しかし、おもしろかったことでしょう。
それは既にある道を辿るのではなく、自分たちで一歩一歩切り開いて行く道です。
参考にするもの、目印にするもの、途中の景色もまた、独自のものであったはず。
独自のもの……人生そのもの、かもしれません。
「これまでの人生経験すべてが、パンづくりに生かされている」という話は
2011年に朝日新聞出版のMOOK『おいしいパンBOOK』で書かせていただきました。
いま、ここにあるのでちょっと、引用します。
例えば、アメリカの美術館のカフェでサンドイッチを味わいながら、「こういうパンを日本でも食べたい」と思ったこと。ワシントン・ポスト紙で目にしたパンのレシピ。老夫婦ふたりで切り盛りしている田舎のパン屋さんの温かい雰囲気を思い描くこと。そうした経験やイメージが、オランダに古く伝わる「デイズム」という田舎パンとなって店に表れるのです。
AERA MOOK『おいしいパンBOOK 食べる楽しみ、作る喜び』 (朝日新聞出版 2011)「湯河原発、世界中を旅するパン屋さん」より
こんなふうに生まれた世界15カ国のパンを、誌面では世界地図の上に載せました。
パンの仕込みについても少しだけ書きましたが、それは本当に一寸だけ。
いま、あらためてその詳細な過程を目の前にして、静かに感動しています。
つい先日、日本橋で能登上布というそれはそれは美しい麻のきものを見ました。
蝉の羽のように薄く涼しく空気をはらむ、贅沢な夏の普段着です。
一生ものとも言われています。
それは日本でたったひとつの織元の職人さんによる、想像を絶するような手間と
時間がかけられた手仕事の到達点でした。
きものとパンを同様に考えてはいけないかもしれませんが、いずれも職人さんの手によって、素人にとっては気が遠くなるような細かな工程を経てつくられる上質のもの、というところが共通しています。
麻の糸を染めるまでがおそらく、このパンでいう生地種の準備のところだろうかと
そこまで考えて、ほーっとため息をついています。
「パンは食べてしまえば消えていきますが、
おいしい記憶や誰かと囲んだテーブルの記憶は、
一生、人を温めつづけてくれます」
今書いているBread Journalの文章に添えるために、
過去に撮ったブレッド&サーカスのパンの写真を眺めていたら、
思い出がまざまざとよみがえってきました。
2004年頃だったか、私はブレッド&サーカスのことを読者に教えてもらい、
最初の取材をさせていただきました。
その後、毎年恒例の「All About読者が選ぶベストパン」の人気投票で、
ブレッド&サーカスは2007年~2010年までの4年間、連続で第1位を受賞して、
2011年に殿堂入りをしました。
ブレッド(おいしいもの)&サーカス(たのしいこと)。
そのパンを囲んで、家族や友人とのかけがえのないひとときを過ごしたひとも
少なくないことでしょう。わたしの両親もブレッド&サーカスのパンが好きで、
晩年にふたりで店を訪れて、楽しいときを過ごさせていただきました。
そういえば、義父母も連れて行ったのでした。
ほら、おいしいものって、大切に想うひとたちに食べさせたくなるでしょう?
そんなふうに私にも、一生ものの幸せな記憶がいくつもできました。
そんなパンのつくりかたの本です。
未来のパン屋さんに、こういうどっしりとした味わい深いパンを
ぜひ焼いてほしいなぁ。
人を幸せにする仕事がその人生の一部となって久しく、
現在も日々真摯にパンづくりに携わっておられる五郎さんと康子さんを
尊敬しています。
味わい深い人生に、乾杯。
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