バゲットの最初の記憶にまつわる話

先日あるシェフに幼少の頃のお話をお聞きしていた時、

神戸の叔母さんの家で出合うまで、バゲットなんて見たこともなかった

という話が印象的で、わたしも自分の記憶を辿り始めたのです。

でもはっきりとは思い出せなくて。

今日、実家で妹に、バゲットの最初の記憶を教えてと言ったら、

初めてのバゲットはスエヒロじゃない?と言います。

ファミリーレストランのない時代のことです。

父が急に思い立ってわたしたち家族をそのレストラン、スエヒロに

連れて行ったのです。なぜ急と思うかといえば、その日は雨が降っていて

高級レストランのフカフカの絨毯を踏みしめる足がゴム長靴だったのが、

子供心にも妙に場違いで恥ずかしかったのを思い出したからです。

そしてコースの最初に出てくるポタージュスープとパンで

わたしたち姉妹はおなかがいっぱいになってしまったんだよね。

その後、ご馳走が続くはずだったのに。

その頃って、バターロールという気もしない?

銀のお皿に入った、バラのかたちにカットしたバターと。

と姉のわたしがあやふやな記憶を羅列すると、妹は立って

母の本棚から一冊の本を持ってきたのでした。

Diary1109182

バゲットという名前を初めて見たのはたぶん、ここ。

バゲット」って何かな、と思ったのを覚えているの。

あ、「バケット」って書いてあるよ……

オニオングラタンスープ、あなたが作ったの?

そうだよ、でもバゲットはなかったから……

今思えば、グリュイエルチーズだってなかったね。

ページを繰るうちに、わたしも作ったものがあるのを

ひとつだけ発見。それはウフ・ア・ラ・ネージュでした。

Diary1109181

昭和40年代の、家庭向けのフランス料理の本です。

母は何を作ったのだろう。

「フランス人の食べ物がそのまま私達日本人の口に合う筈もなく、

もしそうであっても、これは想像をこえる”慣れ”のようなものの

洗礼を受けなければ、愉しむというところまで到達しえないようにも

思われる。しかし西洋への憧れのもつ意義も大きい。

合わないものは取捨選択していくとはいえ、今日こうして私達の

生活にはいりこんでしまったフランス料理も、なんらかの形で

日本風にされているわけだし、その日本風にするというところに、

考えたり工夫したりする楽しみもあり、学ぶ余地もある」

はしがきに書かれた当時の辻静雄さんの言葉に

約40年後の今、気持ちが向いていきます。

それにしても、最初のバゲットはいつ、どこで誰と食べたんだろう?