『パンの文化史』舟田詠子さんのこと。

1998年に朝日選書で出版された舟田詠子さんの『パンの文化史』が講談社学術文庫で復刊されたのを記念して、先日、上智大学で小さな講演会がひらかれた。

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『パンの文化史』を初めて読んだ頃は、パンのことを書いていくにあたって、自分はパンの何を伝えたいか、いろいろな角度からパンを眺めていた時期だった。先にも書いたように、世界中のパンの名前を冠した創作パンをお店で買って食べることから始まっている日本のパン食文化について疑問に思ったり、そのルーツを知らないでつくったり食べたりするのは無責任だと感じていたので、この本は常にデスクに置いていた。

今回の講演会では先生の研究者としての姿勢に心を動かされた。今までも先生のこと、「女探偵」などと書いたりして来たけれども、その探究の道の先々で、不思議な出来事や出会いがある。それは何か大いなる存在が先生に、研究を続けなさい、と仰せになられているような。ものごとを真剣に究めてゆくと、その力が世界を動かして、偶然が必然になるような瞬間が訪れることがあるのかもしれない。

スイス人のパン研究家、マックス・ヴェーレン博士の著書を翻訳し、それがなんて面白いことかと上智大学の史学科の教授に話した際、「自分で研究されたらもっとおもしろいですよ」と言われたことが、先生を研究者にした。後に先生はマックス・ヴェーレン博士に師事する。

「パンというものはわたしにとって、作ったり食べたりしている今のこの時間だけではなくて、想像もつかないほど古代から作り始められて脈々と続けてきた結果なのだ、と思い立った時、大事なことを書き記しておこうと、パンの文化史の仕事を始めました」と先生は言う。

パンの歴史は古代から今日まで麦の品種改良の歴史。より粒の多いものを、病気にならない丈夫な麦を。そして製粉や発酵や焼成の技術の発達の歴史でもあった。古代から絶えず人が研究してきて、現代の我々が受け継いでいる。途絶えさせてはいけないもの。先生はそのように考える。

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講演は『パンの文化史』の最後に付いている分厚い参考文献、注、図版リストなどの付録の話から始まった。

学問の流れは古代から川のように流れている。自分がどこの川のどのへんにいて、どこへ向かって流れているのか、把握しなくてはいけない。先人が研究したことに書き加えていき、後の人がどこまでもそれを辿っていかれるよう、本に書かれた事実について付録に記す。これはとても大事で研究書にはどうしても必要なものなのだという。

いまはインターネットの時代。なかに掲載された白黒の小さな写真を、皆さんはご自分のパソコンで検索して、大きな写真でご覧になってくださいね、という。本を横に置いて、興味を惹かれたものを自分で辿っていくならば、わたしたちはにわか研究者のあるいは探偵の気持ちをひととき、持つことができそうだ。

パンの研究を始めた頃、先生はスイスで6本のひも状の生地を編む、編みパンを教わった。「そのパンをいつ誰が始めたかわからないけれど、遠い日本から行ったわたしの手が、そのパンの作り方をおぼえた、自分の手に入ったことが、感動だった」そういうふうにパンの技術をおぼえたり、パンの味を知って、今がある。

シュトゥットガルト大学の先生でスペルタ小麦(スペルト小麦、ディンケル小麦)について植物学的に一番知っていると思われる人に会いに行き、泊まりがけで教わったこともあった。

「ヒトとムギの歴史はこのように一万年あまりになる。この悠久の時を縫って、私たちの祖先はムギを選び、栽培し、種を保存してきてくれた。ムギはまさしく地球の遺伝資源。人類の大いなる遺産。そしてパンはその果実である」(文中より)

マックス・ヴェーレン博士に直接師事し、すべての著作を読み、古代遺跡から出土するパンや壁画の見方も教えてもらった先生だが、自分の関心がパンそのものではなくパンを食べる人間だということを認識する。

「パンの文化史という本を書いているけれど、わたしは人間を書いているんですね。パンは人間が食べるためのもの。健康を維持し幸せな生活をするためにある。だから人間を書いているんです」

そして先生はさらに進んでいく。

一番最初に人間が考えたパン焼きの方法といわれている、ベドウィンの灰焼きパンを、先生は実際にやってみる。灰をかぶせて火を通すのだ。食べた人は皆「灰がなければおいしいのにねぇ」と言う。「古代の人もそう思ったことだろうと思いますよ。やってみるとわかるんです。そしてボウルをかぶせてその上に灰をのせるといいとか、おいしいパンを焼く方法を考えて行くんです」。円錐形の型を使って、古代エジプトの人のようにパンを焼いてもみる。古代エジプト人の気持ちを感じとろうと努力する。

ここはほら、探偵のようでしょう。犯人の気持ちになってみなくちゃ始まらない。

好奇心の先に、頑丈な扉が立ちはだかってしまうこともある。でも、先生はその扉の鍵穴をさがす。鍵を開ける方法を知っている。その鍵は語学と粘り強さと愛嬌と無邪気さを持った真剣さかと思う。怖いものなしだ。博物館で、外国の田舎の村で。

時代の移り変わりで消えゆく屋外のパン窯を撮るロケで、撮影隊が機材を運ぶ車が必要だった時、たまたまバカンスに来ていたドイツ人の建築家が運転手を務めることとなった。その出会いも偶然なのか必然なのかおもしろいエピソードだった。ロケに同行することになった彼はやがてパンの窯や道具を描いてくれることになる。

「おもしろい。なにしろおもしろいんですよ。すべてが」先生は目を輝かせながら言う。

先日お会いしたある職人さんもそう言っていた。「おもしろくて、仕事をしているって感じじゃないんです」天職に出会ったひとの言葉だと思う。

『パンの文化史』はパンの仕事に携わる人、パンが好きな人、すべての人に持っていてほしい本だと思う。先生がヨーロッパを巡って、大事なことを日本語で記してくれたことを、ほんとうに有り難いことだと思う。