15世紀のマントヴァのお姫様とパンのお話

23日はパン文化研究者、舟田詠子さんの講演で、上智大学のソフィアンズクラブへ。

先日こちらでもお知らせした、そのテーマは「マントヴァのふたりの姫の運命とふたつのパン」。

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マントヴァのGonzaga家の次男、Francescoが枢機卿になるという。

その知らせを受け取った時の一家の様子を描いた壁画がある。

描かれた人々をひとりひとり、舟田先生は「この人はね、」と説明してくれる。

友達のスナップ写真を説明するような感じで。

舟田先生にかかってしまうと、15世紀のイタリアが21世紀の日本のこの部屋の中に満ちてくる。

この人は、どんな性格で、どんな体型をしていて、どんな人生を辿ったか。

人物像を知るきっかけとなったドイツ語の本は、上智大学の地下にあった。ドイツ人の神父さまが昔、神田の古書店で購入して図書館に置くも、誰も読まないので地下室に眠っていたという。先生はその本を日本語に翻訳された。『中世東アルプス旅日記』(パオロ・サントニーノ著)。

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ドイツ語に翻訳される前はイタリア語に翻訳されていた。その前はバチカンの図書館に眠っていた古書だった。なんだか地下室の匂いがしてくる。厳めしい歴史の扉が開かれる音がする。

この絵に出てくるお姫さまのひとりの嫁ぎ先が、先生がフィールドワークをされていた地方だった。

30年前に先生がマントヴァを訪れた時に食べて忘れられなかった不思議なかたちのパンは、「いったいどのように成形されているのでしょう。綺麗な渦巻に作っておいて、切れ込みを入れて壊す。偶然のかたちのおもしろさ。ドイツ人には思いもよらない作り方ですね。イタリアも町々にその町のパンがあります」。今回、マントヴァでは毎日おいしいパンを食べ歩いて「レストランで食事をすることがなかったのよ」という先生が「それはもうおいしかったのよー」と子供のような笑顔になるのを見ると、どんなにおいしかったんだろう、とイタリアに想いを馳せる。

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数百年前のパンであろうが、それを再現してしまうのはZopfの伊原さんだ。(ちなみに先生はわたしが知る日本人のなかで一番正しくこの店の名前を発音する人だ。ツオップフ!)。今回はマントヴァの姫の嫁ぎ先、リエンツのパン、フォハンツェを作った。ドライフルーツやナッツたっぷり、スパイスのきいたライ麦入りのパン。12月27日に食べるとか、好きな男性に女性がプレゼントするパンだとか、ひとかけら、盗んでもいいパンだとか、交際を了承する時のパンだとか、そこにはいろいろな物語があるようだ。このパン、そのうちZopfで店に並ぶかもしれない。

試食はこのほかに、もう一人の姫の嫁ぎ先のドイツのブレッツェル、イタリアのぼろぼろになる焼き菓子Sbrisolina(Mantova での呼び方。Sbriciolonaなど、地域によってスペルが違うようですが、粉々になる、ぼろぼろにする、という意味の言葉が語源)があった。なんて楽しい。

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最後に先生の言葉が胸に響いた。

「長い間生きていると、自分の歩いたところ、見たことが次第につながっていくのよね。今はこういう理由でやっているけれど、あとでもうひとつ別の理由とつながりがあったことを知ったりするんです。そんなことが今回、よくわかりました」

それはあるかもしれない。日々の仕事を丁寧に積み重ねて行きたいなぁと思う。

舟田詠子 パンの世界へ