普通の存在、ということ。

少し前の日経新聞「春秋」欄で見かけて
以前ここでも書いたことがあるレイモンド・カーヴァー
『ささやかだけれど役に立つこと』(原題 ”A Small,Good Thing”)
に出てくるパン屋さんの話を、久しぶりに思い出した。

悲しみにくれる人にパンを差し出して元気づけようとする
あのパン屋さん。

 

「春秋」にはその短編の話と、数年前に話題になっていた
真夜中に開店するパン屋さんが、長く休業しているらしい
ことが書かれていた。
話の関連性はよくわからなかったけれどいろいろなことを
考えさせられた。

 

「世界中でパン屋が日々普通の仕事を普通にこなす。
その夜の働きが人々の昼の暮らしを支えている。
パン屋は常に普通の存在であってほしい」

と書かれていたことに頷きかけて、とまってしまう。

 

「普通」が、多様化している気がする。
パン屋さんにとっても、パンを買う人々にとっても。

 

パン屋さんは今も昔も、どこの国でも大変な仕事で
それは2008年の日本では、人々の暮らしを支える
というよりは、人々の心を支えているのではないか
と感じることはよくある。

 

悲しいときも、パンのひとつで、心が柔らかく動いたり、
温まったりする。

 

そんなパン屋さんの存在を、思う。